30歳、「無職」おくそんのちょっと詳しいプロフィール

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有休消化中の脱サラブロガー、おくそんです。

 

okuson
ブログ開設後、わりとすぐに作ったこのプロフィールページ。

内容があまりにもひどかったから全部消してやりました!!

1から作り直します・・・

ちなみに、「はいさい」とは言っていますが沖縄出身では無いです。

 

 

「おくそん」は何をしている人なの??※2017年6月現在

主夫&アルバイター・自分販売(BASE)

30歳、千葉県佐倉市出身。

小・中・高と順調に青春を満喫するが、専門学校での人間関係につまづき半年で退学。その後アルバイト先で調理・ホール担当社員として登用されるも20歳で乳酸菌で有名な会社のグループ会社に転職。

23歳で沖縄に移住し、結婚。子供2人に恵まれるも、あることをきっかけに千葉県に帰省し無職になる。現在主夫をしながら仕事を探してはいるが、看護師を目指している。

2016年、11月からWordpressでブログ運営を始め、コツコツ更新している。

ブログで100記事達成!【ど素人のPV数、収益金額とは!?】

2017.06.13

【3月のPV数】年度末を迎えました。素人がブログを開設し、4か月目で何が変わったのか?

2017.04.01

 

行き当たりあたりばったりな私の生い立ち

物心ついたころ~小学生入学まで

確か生まれも千葉県だったと記憶しています。

正直この頃の記憶って大して無いですよね??たまに「お腹の中にいる時の事を覚えている」なんて強者もいますが、私はなんの変哲もない一般人なのであまり覚えていることはないです。

4歳位からのことは断片的に覚えていることはありますが、曖昧です。母曰く「銚子」に住んでいたこともあったらしいのですが、記憶に無し・・・。そして私の母は専業主婦だったので保育園・幼稚園には行きませんでした。

 

小学校に入学

見事なちんちくりん具合です。

改めて見るとこの頃から私は「X脚」の傾向があったのかもしれません。

小学校の時は私が「女性を苦手になるある事件」

かつて女性が苦手だった私は、中学時代完全にオタク化して現実から目を背けた。

2017.06.14
がありましたが、それを除けばまぁ普通~~に6年間を過ごしたような気がします。

でもそれなりに色々ありましたよ。小学校1、2年の時担任だった先生が後々逮捕されたり、修学旅行でのある一件が原因で「変なあだ名」を付けられイジメられたりとかっていうこともありましたが、幸いそれでも友達はいたし、なんだかんだ無事に卒業することができました。

中学校に入学

上記リンクにも書いてありますが、中学時代私は完全にオタク化します。

中学時代にしていたことを思い返すと・・・

部活:7

モー娘。:2

三大欲求:1

まず、それほどまでに本当に部活が多かった。

平日は朝、夕練は当たり前。土日は試合も当たり前・・・。つい先日中学校の同級生で同じバレー部だったO杉と飲んだのですが、「ほぼ部活しかしてなかったよな・・・」という話にやはりなってしまいます。ただそれでも空いた時間はモー娘。ここまでくると執念です。

 

高校に入学

まさに高校デビュー

高校入試の模試で、偏差値31という絶望的な数字を叩き出した私もなんとか地元の公立高校に入学することが出来ました。

そして中学卒業と同時にオタクを抜け出した私は高校生になったのをいいことに調子に乗り始め、髪は染めるしピアスもあけるといった行為を繰り返します。

在学中は「硬式テニス部」に所属してはいましたが、バイトOKという中学校の地獄バレー部とはうってかわった内容の部活でした。でもテニスは好きだったので割と部活には参加していました。

というよりも「体育」と「部活」をやるためだけに学校に行っていた気がします。あとは学校に行けば友達に会える環境ってすごく素敵だと思う。大人になったらいくら仲が良くてもなかなか会えないですからね・・・。

 

自動車整備学校へ入学

私が僅か半年で退学した黒歴史です。

当時、ソコソコ車好き(カスタマイズ的なやつ)だった私は父の進める「理学療法士」も気にはなっていましたが、単純に好きなもので進路を決定してしまいました。

私が通っていた学校は千葉県成田市にある巨大専門学校で、敷地内にサーキットまであったりします。そんな環境で「よし、俺はここで頑張るぞ!!」と意気込んでいたにもかかわらず、学校に行けなくなりました。精神的に。

今思えば意気込みすぎていたこともあるかもしれません。

・対人関係が

・授業についていくのが

とか当時語っていた気がしますが、私が逃げただけです。

他人より少しは勝っている!と思っていた分野のスタートで出遅れて、走るのを早々に辞めたのです。でも当時の私のメンタルはそこそこに病んでました。

父と母には、ごめんなさい。




 

社会人として・・・

専門学校を辞めた私は、高校時代から続けていたアルバイト先で社員として登用していただくことになり、アルバイト時代のホール(接客)とは異なり調理をメインで行うことになりました。

もともと料理が好きだった私は楽しんで仕事を続けていましたが、10代まではよかったのですが20代となると色々と支払いするものが増えてきます。そしてそこのお店は自営業で、社会保障や年金も今の手取りから自分で手続きしないといけないという事もあり、色々と相談した結果転職することを決めました。

中途採用の契約社員という形で、乳酸菌で有名な会社のグループ会社に就職しました。業務内容は「JR駅構内にある自動販売機のオペレーション」です。簡単に言えば自動販売機に飲料を補充する仕事です。

そしてこの仕事がきっかけで今の妻と出会います。

そして沖縄に移住することになり、会社を退職しましたが当時の直属の上司の計らいで、沖縄にある同じグループ会社で働けることになりなんだかんだ10年近く会社員として働くことになりました。

そして今では事情により会社を退職し、地元である千葉で主夫しています。

そして看護師を目指しています。

【送別会物語】ついに私は会社員から無職になる。

2017.05.02

30歳、妻子持ちの男が看護師を目指した理由

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