かつて女性が苦手だった私は、中学時代完全にオタク化して現実から目を背けた。

okuson
最近実家に帰ることが多かったので、中学時代の事を思い出してしまった・・・

あの時代の事を書いてもいいのだろうか。

と悩みましたが、もういいでしょう。

逆に中学時代あれほど行動力のあった自分をほめてあげよう!

女性が苦手になったきっかけ

時代は小学校へと遡ります・・・。私の母は私が中学生になるまで専業主夫だったので、当然ながら保育園や幼稚園に行くこと無く私は育ちました。

両親がちょっとした活動をしていたことで同世代の友人はいましたが、学区が違ったり年齢が一つ二つ違ったりでなかなかそのまま同級生として同じ学校に!とはいきませんでした。そんなわけで私は少し孤独な気持ちで「小学校」という集団生活をスタートすることになったのです。

当時の私からすると、「え??なんで入学式なのにみんな知っている風な感じで喋っているの??なになに??」みたいに思ったことが記憶にありますが、その少し後に【幼稚園で過ごす⇒同じ小学校】という仕組みがあるという事を理解しました。

まぁそれでも友達はできました。小学生なんてそんなもんですよね(‘ω’)私の息子も気付いたら知らない子と公園で遊んだりしていますから。

きっかけはとてもささいなこと・・・

今思うと超~~~ささいなことです。

ある日、家から歩いて5分の小学校へ登校しいつものように席に座ると隣の席の女の子からいきなり言われました。

ある女子
机くっつけないで!!( ゚Д゚)
okuson
朝イチでなにいきなり!!(;’∀’)しかもわりと怒ってるし・・・

こわいこわいこわい・・・

本人からしたらそんなに怒っているつもりは無かったのかもしれませんが、私がいまだにこの事を覚えているという事は私にとってはそれなりの衝撃があったということです。

偏見かもしれませんが、どうして女の子はあれ程言葉がキレるのでしょう??私の子供を見ていてもそうですが、やはり女の子は精神的に2歳くらい違う気がします。言葉のチョイスが凄い(*_*;

今書いていても「え?この程度で?」と思いますが、私としてはこのささいな一件から女子とは一線置くようになります。さすがに集団生活でまったく接しないことは不可能なので、必要最低限にとどめて小学校を卒業することになるのでした。

え??初恋?

初恋くらいはそりゃあありましたよ(‘ω’)でも何も言わずに終わるのが初恋でしょう。大抵は自分とは釣り合わない人を好きになるんだから(‘Д’)

中学校へ入学⇒オタク期へ

まぁ大なり小なりイジメみたいな経験もしましたが、無事小学校を卒業し中学校へと入学しました。

実は中学入学のタイミングで親が家を建てたので、私は地元の「西中」か「南中」を選ぶことができました。そして同じ小学校で仲の良かった友達がいる「南中」を選択し校舎がめっちゃ新しかったし3年間の中学生活が幕を開けるのでした。

現在30歳過ぎならわかると思いますが、伝説の漫画「スラムダンク」に憧れてバスケ部に入部しました。

とはいえスポーツは好きだが飽き性でもあった私の性格・・・予想以上にキツイ練習と、小学校とは違う上下関係、そして部内にもなかなか馴染めず早々に退部することになりました。中学・高校って一つ二つ年齢が違うだけでなんであんなに違く見えるんでしょうかね??思春期だから??

そして部活もせずのうのうと過ごしていると、担任の先生から「バレーボール部に入らないか??」という誘いを受けます。ちなみに私の身長は165cmだ。

だがバレーボール部がユルイことは知っていたし、そもそも担任がバレー部の顧問だから「まぁいいか」という気持ちでバレー部へと入部することにしました。

ところが!!!!

私が2年生になるのと同時に顧問が変わり、かつて千葉県選抜の監督をしていた経験もある鬼監督が来てしまいました。

okuson
ちょっ!!頼むよ!!担任!

という叫びも空しくそれからは地獄の日々でした・・・。

ですが飽き性の私にもカス程度のプライドはあるらしく、「中学で部活を二度も辞められない」という思いから辞めることはありませんでした。でもバスケ部よりはるかにキツかったよ。

オタク期に突入

今はもう違うのかも知れませんが、当時中2くらいなると暇人同士が付き合いだすんですよ・・・「おい!野球部の〇〇と〇〇が付き合ってるってよ!!」とかのうわさが次から次へと流れてきます。

一緒に帰る輩まで発生する始末。

ただの妬みですが、当時の男子学生の大半は私の味方なハズだ。

そしてさすがに、女性が苦手な私でも異性が気になるお年頃。でも時間も無いしぶっちゃけモテない。そんな私はこんなことになってしまいました・・・。

3次元(アイドル)を好きになる。

現実逃避です。

さぁ、今でいえばAKBとか乃木坂になるのでしょうか??当時は決まっています。

モー娘。(モーニング娘。)

「LOVEマシーン」とか、ある意味世間を騒がせた後藤真希が在籍していたグループだ。

同級生のみんなが「なっちだ!」「ゴマキだ!」という中、私の一押しは誰とも重なることが無かった・・・。そう、私の一押しは「飯田圭織」(かおりん)だ。

え??誰??

知らないのか!!?

ジョンソンだよ!!

かつての伝説的歌番組「うたばん」でジョンソンとあだ名をつけられたことが有名です。

いや、この画像には悪意があるが普通にキレイな人なんですよ・・・。でも当時私の友人には誰一人理解してくれる人がいなかった。そしてオタク期に突入した私は過去のCD・ポスター・カードなど集めまくった。

部屋中にポスターを張りたくり、姉を驚かせた。「よくこんな誰かに見られているような部屋で過ごせるね」と言われたがそれは違う。【見られている】のではない【見ている】のだ。

すでに致命傷だ。

ラジオも欠かさずチェックした。当時メインのラジオは「中澤裕子のオールナイトニッポン」が放送されており、その1コーナーで飯田所属のユニット「タンポポ」のコーナーがあったのだ。でも中澤氏のラジオも普通に面白かった。

そしてそれを欠かさずMDに録音していた。もちろん容量が足りないのでお気に入り以外は消去した。

ちなみに購入したシングルやアルバムもMDに録音するため一度だけ開封し、あとは保管してある。

部活以外の時間はほぼ「モー娘。」に費やした中学校生活だった。ライブにこそは行かなかったが、当時モー娘がバレーボールの応援団をしていたのをいいことに、オタク仲間のT・K氏と東京体育館まで「バレーの日本代表を見に行く」という風にみせかけモー娘を見ていたのは言うまでもない。

モー娘初の舞台も見に行った。「矢口命」と巨大な刺繍がされた特攻服のようなものを着ている輩がいた。中学生ながら「ヤンキーのオタクもいるのか??」と訳が分からなくなった。

そんなヤンキーたちも、10数年後矢口があんなことになるとは想像も出来なかったことだろう。

オタク期である中学2年~中学3年まで飯田押しは変わらなかった。

終わりは突然に・・・

そう、中学時代の大半を費やした私のオタク人生は突然終わりを迎えたのだ。

それは中学バレー部、最後の大会前を前にあることをしたのがきっかけです。先程記載したように、バレー部の顧問は鬼コーチとなってしまいました、そしてあまり知られてはいないかもしれませんがバレー界も強豪校は坊主が多かったのです。

そして最後の大会を前に「坊主にしよう!」という謎の雰囲気が流れました。

当然のことながら私は嫌でした。そして「レギュラーでもないんだからスポーツ刈りでいいだろ!」と反抗し、中途半端な断髪で最後の大会を迎え、そして私のバレー部生活はあっけなく終わりました。

そしてその後スポーツ刈りになった私は、「小泉孝太郎に似ている!」と言われ調子をこき始めます。

出典: http://haiyup.net/archives/617

☝ツンツン時代の小泉孝太郎です。

そんなこんなで現実の世界を楽しみ始めた私はあっと言う間にこんなことになり・・・

こんなことになり・・・

完全なる高校デビューを果たすのでした。

でも、そんな今でも「飯田押しの人」がいると親友のように接してしまいます。

もし「俺も(私も)飯田押しだ!!」という人がいたら気軽にご連絡ください!(;’∀’)

※追記

そして高校時代の初バイトで、「机くっつけないで!!」の子と数年ぶりに再会するのでした。

高校デビューで少しの自信をつけた私が「そういえば、小学校1年の時席となりだったよね?」と語りかけてみた。

すると「え?違うよ。〇〇くんだよ」

???  (しかもモテモテだった奴じゃねぇか・・・)

すると十数年思いをはせてきたあの人はいったい誰???というオチがありました。




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