色々な沖縄の歴史書を読み漁っていますが、旧石器時代のことが書かれている書物が少ないですね。
あと沖縄の歴史書はブック〇フに全然売ってない。
「日琉同祖論」とは??
前回の記事を思い出してほしい。
そう、港川人のことだ。
日琉同祖論とはつまり、
その言葉の通り、沖縄の祖先も本土の祖先も同じという考えである。
旧石器時代で言えば、「港川人の仲間が琉球を経由して本土にわたり、やがて縄文人になった」という説である。
ただ【諸説あり】とはよく言ったもので、この「日琉同祖論」には史実的根拠を欠いた話も多々あります。
例えば、「源為朝(みなもとのためとも)来琉説」
保元の乱に敗れて流刑になっていた源為朝がひそかに大島を脱出。
しかし運悪く嵐にあい、漂流した結果流れついた場所が琉球だった。
そこから本島南部に移り住み、大里按司の妹と結ばれて男の子をもうけた。そして為朝は本土へ帰るため、妻と子供を残して旅立ちました。
そしてその子供がのちに琉球最初の国王・「舜天」となった尊敦だという説である。
いわゆる【伝説】的な話になるのだが、沖縄本島の牧港(浦添市)には為朝の妻子が為朝の帰りをまちわびたとされる洞穴がある。
出典:浦添市HP
ただ上記のような説は、どちらかと言うと薩摩からの侵略の中で生まれた政治的な理由が絡んでいる可能性が高いため本題にある「旧石器時代」とはかけ離れた話になってしまうので、いったん忘れていただきたい。
そう、今回の記事はあくまで旧石器時代からみる日琉同祖論の話なのだ。
琉球での生存が困難だったという説
港川人が琉球列島に居住していたのは紛れもない事実。
そして、それであれば港川人が琉球人の祖先であることは間違いない!と思いがちだが、必ずしもそうとは言えないようである。
なぜなら港川人が暮らしていた旧石器時代とそれに続く貝塚時代との間に、およそ5000年もの空白があるというのだ。
5000年という月日の何が問題なのかまとめてみた。
①狭い琉球列島で自然の動植物を摂食料とするには限界がある。
②台風などの自然災害や環境の変化に適応できない。
③疫病にも感染しやすく、死亡率が高くなる。
上記の理由から、何千年もの間琉球列島で適正な人口を維持することは困難で、他の地域へ移動するか滅んでしまう可能性が高い。
よって従来考えられていた港川人=日本人という旧石器時代における「日琉同祖論」的な考えは捉えなおす必要があるということだ。
ただし近年、沖縄県のサキタリ洞穴遺跡から1万6000千年前の人骨と石器が出土したり、9000年前の土器が発見されるなどしている。
よって旧石器時代と貝塚時代の連続性の可能性も指摘されている。
歴史というか、勉強をほぼしてこなかった私は琉球と本土の成り立ちについてまったく知識が無かったため、今あらためて学ぶと色々と面白いものだと感じてる。
そして源為朝をはじめ、数々の伝説がある沖縄にあらためて魅力を感じている。
ちなみに沖縄出身の妻は「港川人=日本人」という認識があった。
歴史的に見ると、2018年現在は必ずしもそうとは言えない。しかし、かと言って否定も出来ない。という感じである。
この件に関しては、ずっと追いかけていく必要がありそうです。
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