沖縄の夜型社会に慣れてしまった私が地元に戻った結果・・・

はいさーーーい!!

年休消化中の脱サラブロガー、おくそんです。

okuson
千葉の生活にも慣れてきましたが、なんだかんだ沖縄も住みやすかったな・・・と感じています

 

沖縄での夜型社会について

沖縄は夜型社会だ!!

と色々なところで言われているので、一回位は耳にしたこともあるかと思います。確かに実際沖縄に住んでいる時も、21時~24時位まで車もバンバン走っているし【24時間営業】もしくはAM3時まで営業のスーパーも至る所にあるので、確かに夜でも街が明るかった記憶がある。

そして我が家もそうでしたが、親と一緒に行動している子供たちも多かった。

今思えば、沖縄は共働き世帯が多いので日中は子供たちを保育園や幼稚園に預けると夕方からしか子供たちとの時間を持てないので、多少遅くまで子供を連れだしたりしていたのかな・・・。とかふと考えてしまいました。

 

「国際通り」などの観光名所も遅くまで営業している

沖縄県南部の那覇、国際通りなどの観光名所は飲食店はもちろんおみやげ屋まで夜遅くまで営業している。

私自身沖縄に移住する前、国際通りのドミトリーで一ヶ月生活していたので夜中の国際通りの賑わいには最初驚きました(;’∀’)え!?こんな時間でもこんなに人多いんだ!!でも沖縄県民って感じじゃないな・・・と思ったのをよく覚えています。

「琉球新報」にもこんな一文が書かれていた。

昼延長型の夜型社会は、日本の場合、高度成長期、24時間操業の工場が出現していくうちに形成されたと私は考えている。昼と同じように夜に働く人たちがいて、その人たちに食事や娯楽を提供するための人たちが出現して、昼延長型の夜型社会が形成されたわけだ。
しかし、これは県外の事例であり、沖縄の場合は必ずしも当てはまらないだろう。24時間操業の工場が多数稼働するほど第2次産業が盛んではなかったからだ。沖縄の夜型社会は、県外からの観光客が増え、その観光客に食事や娯楽を提供していくうちに形成されていったと思われる。観光客が多くない離島は依然、昼延長型の夜型社会が進行していない。第3次産業が他県に類がないほど肥大化している、いびつな産業構造となっていることが、昼延長型の夜型社会の背景となっている。

琉球新報 《137万人の会議室》第3回「夜型社会」



 

千葉に戻って感じた事

私の地元は千葉県佐倉市というところです。最寄駅は京成臼井駅。

今住んでいるところは千葉市中央区ですが、地元に戻り21時頃に臼井駅前を通った時に衝撃を受けました。

 

人気無っ!( ;∀;)

 

沖縄の明るい街に慣れてしまったからなのか、臼井という町から人が減ってしまったからなのかわからないがあまりにも人気が無い。

そして駅前だからさすがにコンビニは営業しているが、閉まっている店が多い。しかしこれは佐倉市に限ったことではなく今住んでいる千葉市に関しても、21時過ぎると人気が一気に無くなる。

そしてスーパーやファミレスを除く飲食店が閉まっていたりする。沖縄で21時閉店は考えられない・・・

もちろん国道沿い「357号線」や「16号線」沿いは車も多いし店もやっているが、大体はトラック運転者向けの店が多い。

 

まぁ大したことでは無いのだが、なんか21時過ぎでここまで人気が無くなってしまうとテンションが上がらない( ;∀;)まぁ30過ぎの中年が夜にテンションを上げる必要も無いのだが、なんか暗いんだよね(*_*;

 

少し物思いにふけってしまいましたが、そろそろこのブログの本テーマについて始動する時が来ました。

とりあえず看護学校の「学校見学」と「オープンキャンパス」の予約をします!!

オープンキャンパスについては6月からの予約開始なのでこれからですが、学校見学については5月から予約を受け付けているのでスケジュール調整をして突撃します!!

やっと本テーマに関する記事が書ける(*_*;

 

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