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私にとってのNAHAマラソン
NAHAマラソン。
私にとってNAHAマラソンとは、屈辱と挫折を味わうためのイベントである。
超えられそうで、超えられない壁でもある。
詳しくは、過去記事を参考にしていただきたい。
そんな苦しい思いをしてまで、なぜNAHAマラソンに参加するのか??
「楽しいから」
そしてやり残したことがあるから。
ただそれだけである。
NAHAマラソンはもはや【お祭り】
スタート地点からゴール地点までほぼ途切れることなく応援部隊がいて、おかしや飲み物を差し入れてくれる。
中には「沖縄そば」といった重たい差し入れがあるのも特徴的だ。
そして、何といってもゴール後のオリオンビールがたまらないのである。
その為に、みな走っていのだ。
自分の中で、何かが変わった27回NAHAマラソン
学生時代、長距離の練習なんて死ぬほど嫌いだった。
校内マラソンも「無くなればいいのに」とずっと思っていた。
そんな私が、人生初めてフルマラソンに挑戦することになったきっかけは、先輩(上司)との「賭け」というくだらないものだった。
部活の練習でも10キロが定番だったので、42キロなんて未知の領域だ。
しかも賭けに勝つためには5時間以内に完走しなければならない。
とは言え、そこまで本気になることも出来ず、大会1ヵ月前までろくに走ることもしなかった。
せいぜい走って5キロ位。
正直、私は完全にフルマラソンをなめていた。
不安を抱えながらも、「なんとかなるだろう」と不安をごまかし、私と同期のBさん、先輩のAさん含めた3人で人生初のフルマラソン「NAHAマラソン」に挑戦した。
大会当日の朝
その頃私は那覇市小禄というところに住んでいた。
NAHAマラソンのスタート地点【奥武山公園】までは家から歩いて10分もあれば着いてしまう。
ゼッケンを着けた「これから走るであろう人たち」が私と同じように会場に向かって何人か歩いている。
私は少しの緊張感とイベントに参加するというワクワク感で、気付けばいつもより少し早く会場に着いていた。
それは今思えば、運動会当日を迎えた小学生のような気分だった。
沢山の人混みの中、先輩との待ち合わせ場所に向かった。
するとそこに同期のBさんの姿がない。
一人逃げた。
まぁ、ここまできたら1人欠けようが関係ない。
あとは走るだけだ。
入念にストレッチを済ませ、長々と並ぶトイレを終えると決められたゼッケン番号ごとに区切られたスタート位置で待機。
あまりに人が多い。
ちなみに、NAHAマラソンはこの次の大会から抽選になった。
確かにあの人の多さでは、致し方ない。
スタート〜平和記念公園(中間)
私と先輩は、賭けレースに勝つべく軽快に飛ばした。
超スローペースなスタート→国際通り→津嘉山手前位まで人混みをすり抜けるように走った。
そして10キロを少し超えた頃、大勢の人で混み合う給水ポイントでついに先輩とはぐれてしまった。
人の密集度が高すぎて、少し目を離したすきにはぐれてしまう。
まぁ、あれだけ人が多ければしょうがない。もはや探すのは不可能。
マラソン。それは自分との闘い。
と言う訳で、あとはお互い賭けの時間内にゴールで会えることを願って走るだけだ。
私はとにかく前に進んだ。
異変を感じたのは15キロ程進んだ頃だった。
左膝周辺が痛い。
割と痛い。
そこから急激なスピードダウンを余儀なくされた。
歩いて。
歩いて。
小走り。
痛い。
右も痛い。
歩いて。
歩いて。
小走り。
痛い。
1キロ10分というペースにまで落ちてしまった。
具志頭までの一本道がこれほどまで長いとは思わなかった。
行く先が見渡せるだけに、余計にキツイ。
とてもじゃないが、ゴール地点まで行くことは不可能。
でも止まったら終わり。
歩いてでも、前を目指して進んだ。
やっとの思いで具志頭のJAの前を通り過ぎた。
と思ったらゆるい上り坂だ。
しんどい。
体力はまだある。
心肺機能は大丈夫。
でも脚がついてこない。
とりあえず、先輩に電話をしてみる。
先輩は約3キロ先にいるようだ。
もう少しで中間地点の平和記念公園に到着する模様。
私は中間地点まであと約3キロほど。
もはや二人とも賭けに勝つことはおろか、完走すら不可能だ。
とりあえず、最低でも中間地点までは辿り着くことを約束し、ただただ前に進んだ。
進みながら考えていた。
先輩は、行こうと思えばもっと先に行けただろう。
現役で無いにしろ、月に何回かは大学でラグビーをやっていたし。
実は中間地点より先に進んでいるんじゃないか?
と少し不安になってもいた。
20キロ付近。
もはや中間地点の制限時間も迫ってきている。
もう賭けなんてどうでも良い。
風呂に入りたい。
寝たい。
とりあえず、歩くのもやめたい。
だが先輩を待たせる後輩としては、ここで止まるわけにはいかなかった。
中間地点前の丘を越え、平和記念公園が見えてきたころ制限時間を知らせる花火の音が鳴り響いた。
終わった。
とりあえず、無謀な賭けマラソンの挑戦は終わりを迎えた。
だがもはや私にとってのゴールはそこではない。
中間地点まで行き、先輩と合流しこの無謀な挑戦の辛さを分かち合いたかった。
「いや、これは無いわ」
と笑い合いたかった。
むしろそうでないと救われない。
役に立たなくなった脚を引きずるように、私は中間地点までたどり着いた。
中間地点、先輩との合流
中間地点には志半ばで散っていったランナーたちであふれていた。
そこに先輩はいた。
とりあえず、愚痴りあった。
中間地点にすら間に合わなかったが、素直にしんどかった。
いや、本当に無謀な挑戦だった。
ただやはり、先輩が待っていてくれて良かった。
もし先輩が先まで進んでいて、中間地点から1人リタイアバスに乗って那覇まで帰るのはあまりにしんどい。
泣いてしまう。
おきなわマラソンは時間内に完走した
もはや全て走っていたわけではないので「完走」と言っていいのかわからないが、とりあえずおきなわマラソンは制限時間内にゴールする事ができた。
おきなわマラソンもNAHAマラソンと同じくフルマラソンである。
しかも高低差はおきなわマラソンのがキツイ。
でも、走りやすさがNAHAマラソンと全く違うのである。
その後2度ほど挑戦したNAHAマラソン。
制限時間内にゴールできたことは、まだ無い。
35回NAHAマラソンにかける想い
およそ8年前、賭けマラソンから私のマラソン人生が始まった。
その時一緒に走った先輩とは、沖縄を離れた今でも連絡を取り合う仲になった。
色々共通点があったとはいえ、私が沖縄で8年間楽しく過ごせたのは、家族を除いてこの先輩の存在があったからだ。
その先輩も、今人生の岐路を迎えていると言う。
私が思うに、先輩は色々と誤解されやすい損な性格だからもったいない。
私の妻も「怖い」と言うし。
でもまぁ大丈夫。
どの選択肢でも、先輩ならなんとかする。
はず。
人生、大抵のことはなんとかなる。
とりあえず、ゴールしてから語り合いましょう。
最悪、一緒には走れなくてもあれから8年、今回こそ無事完走したと報告したい。
一緒に走って、
はぐれたとしてもお互いゴールして、
最後に笑ってオリオン飲めたら、最高。
8年前の苦い記憶もきっともっと笑えるだろう。