はじめまして、モクタロウです。
私は2016年に個人ブログを開設し【脱サラして看護師になる】という一つの夢を持ちブロガーとして活動していました。
ブロガーとして活動することで、ともに看護師を目指す仲間や既に看護師として働いている先輩方とも繋がることができ、夢に向けて順調な日々を過ごしていました。
しかし、そう上手くはいかないのも人生。
看護専門学校の社会人入試に失敗し、再びサラリーマンとしての道を歩むことになりました。
一つの夢・目標を失ったことでブロガーとしての活動も方向性を見失い、記事を書くペースは減り
「いつか書こう」
「テーマが無い」
「そのうちどうにかなるでしょ」
など思うようになり、結果的に2019年~2022年6月(現在)までほぼ放置の死んだブログと化していました。
そして2022年6月、再び人生の岐路を迎えたこともあり「モクタロウ」として死んだブログを再稼働させるべく動き始めました。
地域のことや人生観・趣味など雑記ブログになってしまうとは思いますが【貢献】という一つの軸を持って活動していきます。
ここでは、私の生い立ち等簡単に振り返りながら「モクタロウ」のことを紹介していきます。
☒目次
出身地
千葉県佐倉市出身。
千葉県佐倉市といえば、長嶋茂雄・BUMP OF CHICKEN・藤木直人等実は数々の有名人の出身地でもあります。
その他にも
・印旛沼
・雷伝為衛門
・ワニガメ
・弱虫ペダル
・チューリップ祭り
・佐倉城
・武家屋敷
・堀田正睦
そろそろ苦しくなってきましたが、実はいろいろな観光スポットやアニメの聖地となっている場所がある魅力的な市なのです。
幼少期
確か生まれも千葉県だったと記憶しています。
習志野市だったような。
母曰く、すぽん!と割とすぐに生まれてきたようです。
姉はいますが、長男です。
【小学校】
髪型!!
小学校まで徒歩5分の場所に住んでいたため、楽で便利でしたが基本的にいつも一人で登下校することになりました。
みんなと一緒に登校とか、帰りに公園で遊んだりとかに憧れていました。
2歳年上の姉がいたはずなんですけど、なぜか一緒に登校した記憶が無いですね。
当時はスーパーファミコン・ミニ四駆がブームで近所のおもちゃ屋に行ってはパーツを眺め、店舗の外に設置されたミニ四駆のコースで競うことが日課となります。
工作が好きで、プラモデルクラブに入りガンプラやエヴァも作っていました。
小学校1、2年の時担任だった先生が後々逮捕されたり、修学旅行でのある一件が原因で「変なあだ名」を付けられイジメられたこともありましたが、幸いそれでも友達はいたし、無事に卒業することができました。
その後の未来で息子たちが同じ小学校に通い、まさか自分がPTA会長までやることになるとは思いもよらなかったです。
【中学校】
中学時代にしていたことを思い返すと
部活:7
モーニング娘。:3
まず部活ですが、漫画「スラムダンク」に憧れバスケ部に入部しました。
走り込み等練習はきつかったですが、憧れの先輩もできこれからかと思っていたところ同年代・一つ上の先輩との相性が最悪で早速幽霊部員に。
熱心に勉強するタイプでも無かったのでどうしようか悩んでいたら担任の先生から
「とりあえずバレー部に入るか?俺が顧問だし」
「ゆる~くやってるから!気軽に来てくれ」
と誘いをいただき、すんなりバレー部へ。
そして入部後早々に、担任のゆるゆる指導から県代表等も経験のあるガチ監督に顧問が変わるという悲劇がおきました。
「きつい」
「つらい」
「しんどい」
令和の時代にはそぐわない指導もあったかと思いますが、正直他の強豪校と言われる監督も同じような指導だったこともあり「そんなもん」だと思っていました。
朝練・放課後・土日は練習or試合
正直本当にしんどい時期もありましたが、仲間がいたこと。
そして「もう逃げたくない」というちっちゃなプライドのみで引退まで続けることができました。
【オタク化現象】
きっかけは思い出せませんが、気づいたらいわゆる「モーオタ」になっていました。
・ファンクラブ入会
・ミュージカル鑑賞
・娘。見たさにバレーボール予選鑑賞
青年期
【高校】
いわゆる高校デビュー
3次元の世界から現実に帰ってまいりました。
中学時代、高校入試の模試で偏差値31という絶望的な数字を叩き出した私もなんとか地元の公立高校に入学することが出来ました。
そして中学卒業と同時にオタクを抜け出した私は調子に乗り、髪を染め・ピアスの穴を拡張し・原付の免許を取りバイトに注力します。
在学中は「硬式テニス部」に所属してはいましたが、バイトOKという中学校の地獄バレー部とはうってかわった内容の部活でした。でもテニスは好きだったので割と部活には参加していました。
というよりも「体育」と「部活」をやるためだけに学校に行っていた気がします。あとは学校に行けば友達に会える環境ってすごく素敵だと思う。大人になったらいくら仲が良くても会えないことも多いはず。
とにかく高校時代は青春を謳歌しました。楽しかった。
成人期
飲食店調理スタッフ
専門学校を辞めた私は、高校時代から続けていたアルバイト先で社員として登用していただくことになり、アルバイト時代のホール(接客)とは異なり調理をメインで行うことになりました。
もともと料理が好きだった私は楽しんで仕事を続けていましたが、20歳になり成人すると色々と支払いするものが増えてきます。
そしてそこのお店は自営業で、社会保障や年金も今の手取りから自分で手続きしないといけないという事もあり、色々と相談した結果転職することを決めました。
調理を続け調理師の資格を取るという選択肢もありましたが、飲食業の世界は休みが少ないという印象があり、あくまで調理は趣味にしておきたいと思ったことを今でも覚えています。
飲食店時代にお世話になった店長家族、バイトの先輩たちとは今でも繋がりがありバイクの仕入れやカスタムで度々お世話になっています。
乳酸菌飲料メーカー(千葉県)
中途採用の契約社員という形で、乳酸菌で有名な会社に転職しました。業務内容は「JR駅構内にある自動販売機のオペレーション」です。簡単に言えば自動販売機に飲料を補充する仕事です。
JRの飲料事業を「受託」している仕事なので、所属している会社の制服・車で仕事をしているにも関わらず「自社商品を一つも扱わない」という特殊部門でした。
売上確認→補充を繰り返し、状況によっては商品の種類を増やし季節に応じて「あたたか~い」や「つめたい」に変更しながら、すこしでも多く売れるよう活動していました。
完全に体力仕事でしたが、若かったことと駅構内の人間観察もおもしろくそれなりに楽しみながら仕事をして、さらに筋力もつくのでまさに一石二鳥の仕事でした。
嫌だったことをあえて言えば、居心地の悪さ位ですかね。
メーカー勤務なのに自社商品を一つも扱わないため、愛社精神も生まれてこなければ当然商品知識も入ってきません。
よって会社と自分との間に温度差が生まれます。
事務所にいても異端部署的な空気を感じていたので、あまり良い気はしませんでしたね。
それでも、基本的に外での活動になりすべての仕事を終えて事務所に帰ってくるころ他の社員はほぼ帰っている時間だったので問題無いですね。
乳酸菌飲料メーカー(沖縄県)
私生活で転機があり、千葉県から沖縄県に移住することになりました。
移住に伴い、仕事を辞めることになるので上長に相談したところ「沖縄では俺の同期が今社長だから話をしといてやる」とのありがたい言葉をいただき、面接を受けさせてもらえることに。
しかし、正直なことを言うと愛社精神も無くむしろ自社アンチで仕事をしていた私からすると沖縄という新しい環境で1から仕事を探してみたいとも思っていました。
有休消化を含め約1か月沖縄で就活・移住準備の期間をつくれた為格安ドミトリーに滞在し仕事探し、家探しが始まりました。
求人情報を見て驚愕。
給与が安すぎる。
約12年前の話にはなりますが、引越し契約社員で日給6,000円。(引越し業界大手)
え、引越しでこれなの?と思うレベル。「何ヶ月かはアルバイトでもしのげるかな~」なんて思っていましたが考えが大甘でした。
結局、上長に紹介していただいた社長に面接をしていただき無事採用が決まりました。
建築資材メーカー流通部門(派遣社員)
父の闘病もあり、実家のある千葉県に帰ってきました。
沖縄県で結婚し、息子2人にも恵まれ家族ともども千葉県で新生活が始まりました。
私は千葉に帰ることが決まった時点で、「看護師になる」という一つの目標を目指し学校の選定や受験対策を考え、その経緯をブログとしてまとめることにしました。
受験等控えているため都合のつきやすい派遣社員として勤務し始めましたが、このことが巡り巡ってその後の人生に繋がってくるとは思ってもいませんでした。
医療法人グループ 渉外課
生活を考え、一回のみの挑戦と決めていたため看護師を目指す道は途絶えましたが、転職活動をしていく中で今まで培った営業職としての経験を活かし、医療従事者として働くことができることを知り某医療グループの渉外課(営業)として働くことが決まりました。
赤い飲料メーカー 営業開発
飲料業界に戻ってまいりました。
初の外資系企業勤務となり様々な違いに驚かされています。
それにしても、システム化がすごい。
勤怠管理も営業ルートも、営業ツールも、進捗状況もすべてがオンライン化(タブレット・スマホ)で完結する。
某医療グループではタイムカード+勤務表に記載・押印し月末に上長がチェックするというアナログの極みともいえる状況でしたので環境の違いに驚きました。
それもすべては「営業」に集中させるためなのでしょう。
上手く連動していないシステムもありましたが、規模の大きさを肌で感じました。
仕事を辞めても、死なない
経歴を見てお分かりの通り。
私は転職回数多いです。