オドルアホウ

30歳、妻子持ちの男が看護師を目指した理由

当時の状況

 

沖縄で生活し、のうのうと暮らしているごくありふれた普通の会社員です。

部署は営業部ですが主に自動販売機の運営、納品担当者のマネジメントをしています。ここ最近自販機荒らしが多くて少し困っていますが何とかやってます。

 

今の仕事に不満があるか??

 

全然ないです!!と言ったら嘘になりますが、今の仕事にやりがいを感じていますし会社内での人間関係もとっても良いです!むしろ身一つで沖縄に越してきた私を雇っていただき、成長する機会を与えていただいたことにとても感謝しています。

 

良くも悪くも私は学校みたいに感じています。

 

楽しい仕事をなぜ辞めるのか??

 

会社に感謝もしていて、不満も大して無いならなぜあえてその会社を辞めて看護師を目指すの?今のままでいいんじゃない?

と思うところでしょう。私もそう思うので、簡単に説明させていただきます。

まず、私はもともと千葉県で生まれ育ちました。高校を卒業後飲食店⇒会社員として働いていましたが、23歳の時に今の妻の地元である沖縄に拠点を移し生活しています。給料は少ないですが、家族みんなそれなりに楽しく過ごしています!海もキレイだし子供が遊べる公園も多く子供たちも今の生活が好きなようです。

 

しかし少し前に私の祖父が亡くなり、しばらくの間実家に帰省した時のことです。

その時に私の父の体調があまり良くないことを知りました。本音を言えば、「あまり良くない」ではなく「かなり良くない」だ。思い起こせば父が初めて癌になったのは私が中学生の時だ。ここからは少し父の話をしよう。

最初の「大腸癌」これは会社の健康診断で腫瘍が見つかったが、手術で全摘できる大きさだったため入院して手術をした。当時中学1年だった私は2つ上の姉と一緒に電車に乗り、父がいる病院まで行ったことを覚えている。

「癌」には再発の危険性がある。

そのため手術で全摘出来たとしても病院に定期的に通い、再発が無いか確認しなければならない。

5年間の間再発が確認されなければ「完治」となる。そして父の「大腸癌」は完治した。完治したのだ。

この5年もの期間を父はどんな気持ちで過ごしたのだろう?仕事をしている間や何かしている時は薄れるかもしれないが、「再発」という恐怖は計り知れないストレスを父に与えたことだろう。私はそんなこと気にも留めずに中学、高校をのうのうと過ごしていた。

 

だが安心した生活は長続きしなかった。私が沖縄に移住したおよそ1年後、父が口内炎のようなものが治らずに病院に行ったところ「悪性の腫瘍の可能性がある」ということが判明した。

その後の正式な病名は「舌癌」と診断されました。

当然母から連絡があり、父の今の状況を聴いた。しかし当時は「少し話しづらくはなるかもしれないけど、舌の一部切除で除去できそう」という事を聴いていたので、なるべく定期的に実家に帰るようにはしたが、いかんせん沖縄県と千葉県はそこそこ離れているので年2回帰れれば良い方だった。

その後切除手術を終え、また5年間の通院が始まった。

しかし次は何事もなく5年終えることは出来なかった。リンパへの転移が見つかったのだ。

手術での治療は困難なため、放射線治療⇒抗がん剤治療という流れで癌と戦うことになった。そして放射線治療が終わり、抗がん剤へと切り替わった時私は地元に帰る決意をした。

それは仕事を辞めるということでもある。




 

これまでも、両親から「帰ってこい」

 

と言われたことは一回も無い。まぁ私が親でも絶対言いたくない。

しかし、私は両親に「何も言われないし今の仕事も好きだからまぁいいやー!」

 

と思えるような育て方をされておらず、親としても人としても尊敬しています。そんな父が60にもならずに早期退職し抗がん剤治療をしている。

私は当時29歳です。

「いや、早すぎでしょ!」

と一人でいろいろ自問自答を繰り返しました。

 

 

もちろんもっと早くに親と他界している方もいるでしょうし、もともと親がいない人だっていることは理解してます。

いや、だとしてもですよ!

とまぁ細かい話をすると終わらなくなってしまうので・・・結論からいうと

千葉に戻る=退職=無職→仕事探し!

というのが私の今の現状です。

予定としては2017年9月末退社の方向で上司にも話をしています。追記:父の容体悪化により5月1日より有休消化~6月末退社です。

自分の本当に大切な人を失った悲しみは、じわじわやってくる。

6月 19, 2017

【在宅医療】家族で過ごした最後の日

6月 10, 2017

 

 

なぜ看護師なの??

またゼロから就活かぁ・・・・

と色々求人誌に目を通していたところ、千葉に帰るなら祖父が住んでいた家が空いてるな!と思い両親に連絡をいれてみると「丁度よかった~。壊すなら費用が結構かかるから悩んでた」というありがたい返事をいただき、家は古いですが家賃無しで住める家を確保したのです。

家賃も駐車場代も無いというのは非常~~~にありがたい話でありまして。

そのおかげで「この年になって転職するならやりたいこと、やりがいのある仕事をしたい!」という欲が芽生えてしまいました。

現在は某メーカーで自動販売機の運営をしているのですが、この仕事は「物流」や「作業効率」といったものがほぼ全て数値化出来てしまうので、まるでアスリートのように「数字」「数字」を追う日々が続くのです・・・。この「数値を減らすためには、効率化するためには」みたいなことをPCと向き合いながら考えるわけですが、それもまぁ嫌いでは無いのです。

ですが、なんでしょう・・・数字ではなく人と人とで仕事がしたいんです。

営業もあるので、もちろん対人との仕事はありますけど「営業」となるとそこには数字が隠れているので何か違うんですよね。

 

そんなわけで私は「人に携わる仕事」+「学生の時選ばなかった道に挑戦」をしたいと強く思うようになり、もともと興味のあった医学関係の学校や現状を調べ始めました。

最終的に2択で悩みました。「理学療法士」「看護師」

2016年現在の就職状況や給与、学費や現職者のブログなどいろいろ調べました!

その結果自分がやりたい!!と思えたのは看護師でした。

 

男の、そして社会人の経験があることで看護師として出来ることがあるように感じたからです。

もちろん簡単なことで無いことは理解しているつもりです。 現在30、仮に入学できたとしたら31です。妻子持ちで3年間学校に通い国家試験に受かろうと言うのは厳しいことだと思います。

ですが最終的には「やるかやらないか」

だと私は思います。

父のこともそうですが、人間いつ終わりが来るのかわかりません。死ぬ覚悟なんてさらさら出来ませんがもしその時が来た時にどうせなら後悔は少ない方がいいと思い、私はそれを指針としています。

まだ試験も受けていないのでまだまだこれからですが・・・これから看護師を目指す第一歩としてこのブログを始めました。 なれるかどうかもわかりませんが、見守っていただけると幸いです。

また現職の看護師さんや看護学生、これから目指します!という人と交流出来たら感激です!(^^)!

脱サラ男性看護師と出会うことが出来た!ブログの可能性を実感することになった話。

4月 13, 2017
どうぞよろしくお願いします。
okuson
読んでくれてありがとう!